セルフ・ネグレクト(自己放任)の本を読んでいる。
いかに『片付け』という技術が高齢になると難しくなるかがわかる。
子育てと介護のダブルケアをそっと応援・寄り添いを大切にするライフオーガナイザー/メンタルオーガナイザー/シニア生活環境オーガナイザーつるさきかよです。
食欲がわかず食べ残す、とか、
ゴミ分別が細かくて捨てにくい、とか、
身体が思うように動かずトイレが間に合わない、とか。
家族がいたら、本人が調子が悪いなら食べ残しは翌日まで冷蔵庫に入れたり、食べられないならごめんなさいと水気を切って消臭ビニール袋に入れ、捨てたりできる。
ゴミ分別も時々行ってフォローすれば、リセットした空間を親や友人にあげられる。
排泄のことは個人的でナイーブなことだけれど、『高齢化すれば当たり前のこと❗️』とみんなが共通理解を持てば、排泄障害を隠さずに済むのではと思った。何回か失敗したら、もうええわ、しばらくオムツはこうかな、って潜在意識に入るくらいに。認知症の人にはその判断が難しいかもしれないけど、そうでない人にはいいのではないでしょうか?
腰が悪くて移動できないのも、排泄が間に合わない一因になるなんて、知らなかった。
だけど、排泄の失敗をわざわざ子どもや知人には言いにくいかもしれないから、『リハビリパンツの薄いタイプを防災用に置いといて!』と違うアプローチで贈るとか、繋がりがあるならできることはたくさんある。
ずっと付き合いのある大好きなながみとともに日常備災を語るとき、『これ(リハパン)大人用のトイレにいいと思う』と聞いてから、わたしはコスモス薬局で自分用のサイズも探したほどだ。ながみは高齢者福祉分野でずっと働いている、わたしに福祉の道を教えてくれた道しるべの女性。
また、シビアだけど孤立化から死亡までがゆるくつながっている事がわかっているなら、孤立しにくいような支援を社会全体で作って行かないとね。
シニア生活環境オーガナイザーでは、わたしは主体的に暮らしたい前向きアクティブシニアのおうちに行く。
でも、社会福祉士としては制度から落ちかけた人を救いたいと思っている。ボランティアではないから、限界もあるだろう。じゃあ何ができるかを考える人になりたい。
理想かもしれないけど
1人で暮らす50歳以上の男友達や家族がいる人はときどき電話してたら、年間2万人いらっしゃる孤立死の方は減ると思う。
どんな人も生まれたことに意味がある。
生きたいと心で願っているのなら
たすけて・手伝ってのサインを出していい。
著者の岸さんにいつかお会いしてみたいな。
そう書いてあるように思いました。
読んだ本はこちら。