いっぱいいっぱいはもう卒業!余裕が生まれる暮らしの作り方

片づけ、子育てや介護に関すること、関連イベントのお知らせを発信するブログです。ライフオーガナイザー。社会福祉士。3人の娘の子育て中。

母の命日に向けて感じたこと

子育てと介護のダブルケアをそっと応援・寄り添いを大切にするライフオーガナイザー®︎ つるさきかよです。  

 

 

思いのままに書くので、長文になります。

良かったらお付き合いください。

 

 

今日は忘れたくても忘れられない日。

 

 

1995年8月3日。

母が亡くなり、今日で26年経ちました。

 

高校2年、ハンドボール部の合宿中、学校の放送で名前を呼ばれました。嫌な予感がしました。職員室に行き、すぐに電話するようにと、言われました。母が亡くなった、との報告でした。その日の記憶は曖昧でどう過ごしたかは覚えていません。毎日、制服で寝なさい、と叔母に言われていたことに、何でそんなこと言うの?とギョッとしていたことくらいかな?

 

 

暑い季節はこの日を思い出しやすいです。

 

 

でも、最近はすぐに結びつかなくなってきました。暑さと物悲しさがくっついていた20数年、やっと分かれてきました。

 

 

2019年6月にメンタルオーガナイズのセルフ(自分自身の心の片づけに使える資格)を受けてから、少しずつ人生の考え方に広がりが出て、死への受け止め方は変化しました。その後、自分の体験と内容のエビデンスに感動し、人にも提供できるよう、プロ資格を受講しました。

 

それまでは、『どうして私ばかり苦しいの』『みんなの母親は生きているのに、なぜわが家の母だけが病気になり、亡くなったんだろう』『何がいけなかったの』『しんどい、自由に遊びたい、家事なんてしたくない、本当はみんなと同じように部活がしたい、なんで長女に生まれてしまったの、向いていないよ』と言う悲観的な考え方を大変長くしてきました。一時は家によりつかず、夜も遊び呆けていました。今となっては、とても滑稽だとわかるのですが、その頃は、このなんとも言えない感情に支配されていました。周りに言ったことはありませんでしたが、心の中にはずっとあった感情でした。家族を護るためには、わたしの感情は邪魔でもありました。抑えなければ、毎日を暮らせませんでした。家族には時間が経って、少しずつ出せるようになりました。こじらせていたなぁと今は笑えます。

 

 

母親がいて普通に暮らす同じ世代の子たちが男女ともに羨ましく、大人になってもお母さんから色々としてもらえるママたちのSNS投稿を見て嫌な気持ちになっていました。今思えば、比べても意味ないし、わたしはその立場に立とうとしても立てないからわざわざ見たって仕方ないのに、、、本当に無駄なことをやっていました。

 

 

ただ、現実問題、母がいないと言うことは母の分まで色々なことをしないといけないということです。今、母業をしている人は、それをすべて長子にしてもらうことを想像してみてください。母親がいなくなるということはそういうことです。わたしは、妻の立場で父と、弟や妹の進路なども考えてきました。献立づくり、食事作り、炊事、洗濯、買い物、掃除、、、17歳からは子どもの立場でありながら、主体的に母親の代わりであり、同級生と同じ考え方はできなくなっていきました。手伝いではなく、もう仕事だったから。友達と遊ぶのも夕飯を作る時間を考えて、遊びの終わり時間を決めていました。土日はまとめて食糧調達のため、一日は家族のために使うような暮らしでした。

 

元々、人に迷惑をかけてはいけないと言われて育ったことも大きいと思います。なので、ついつい口を出て言いたくなるのですが、わが子が思春期を迎え、わたしは子どもにはあんまり言わないように気をつけています。気をつけたい、無意識に言ってしまう一言です。

 

 

30代まで人のためには犠牲になってまで役に立とうとするものの、自分を喜ばせたり休ませたりするのが苦手なわたしは、ドツボにハマっていきました。

 

 

そういう考え方は幸せを引き寄せません。

 

自分の幸せを我慢し続けると心は壊れていくからです。

 

産後、義母は働いており、子どもの預け先はありませんでした。どこにでも、こんなママはいますが、わたしはわたし1人だと悩んでいました。視野が狭まっていたと今ならわかります。買い物にも他の子の通院にも赤ちゃんや幼児を連れてチビたちといつも行動していたこと、独身時代には普通に行けた映画館や美容室になかなか行けずひとり時間が取れなかったことは、わたしの心のバランスを大きく崩しました。

 

 

仕事をスタートし、子どもたちと離れて過ごし、初めて命の重さから離れられた、それがわたしの最初の『自分を大切にする』や『休ませる』ことだったと感じています。

 

 

気づくまでしばらくかかりましたが、今は自分自身のことをよく理解できています。

どれくらい自分に負荷をかけられるか、わたしの今のキャパシティは最大どれくらいで、今はどれだけ埋まっているか、それを踏まえて、時間を使えるようになりました。

 

 

身近な人の死は、少なくとも周りの人に影響を与えます。その時に、感じることは避けられないですが、どう考えどう心に留め置くかは、自分で決められます。

心の片づけに出会い、あーここがわたしのつまづきだった、と知ることができた時になんて気持ちが良かったか、言葉では言い表せません。空間のようにぐちゃぐちゃな場所が整理できた時には、新しい世界が見えてきました。

 

 

もし、周りの人の死から心の中の淵に落ちて、その深い溝からなかなか這い上がれない方がいたら、メンタルオーガナイズもひとつの方法としてお役に立てると思います。

 

 

カウンセリングやコーチングとは全く違います。

 

 

昨日は、8/2。

子どもたちを連れて実家に帰ってきました。

母の仏壇を掃除し、手を合わせに行くためです。

母が好きだったものをお供えし、生ものはお供えした後、子どもたちがそこで食べます。実家に行くときは、常にそうしています。家に住んでいたころは団子を作ったりしていましたが、わたしは母は団子が好きかどうかなんてわからなかったのにどうして仏様には団子、という感覚で作らないといけないのかな、と無理矢理な気持ちで作っていたので、もう作りません。

弟はうっかり忘れてそのままにして乾燥しカビさせてしまうし、日持ちがする綺麗なゼリーなどがわたしにはむいています。なんでも、私がしたいように変えました。

 

 

娘たちには伝えました。

 

 

生きていない人もあなたたちを形づくってくれた大事な人なんだよ

ママのお父さんとお母さんがいなければ、あなたたちは生まれていないんだよ

見えるものがすべてじゃないんだよ

 

 

と。

 

 

今は弟が住んでくれている実家。私たちらしく維持管理していければ、と気負わずにいられ、今はバランスが取れていて、幸せです。

 

 

 

がんばりすぎている人は、いま一度、考えてみるといいかもしれません。

 

 

まず、あなたがしあわせでいることを一番にそして大事にしてほしいと思います。

 

 

そうご自分で選択する覚悟がある方を

わたしは心から応援しています。

 

 

今日はお寺の納骨堂に今から行ってきます。坊守(ぼうもり)の奥さんも歳を重ねてあり、よく父の話をしてくれた人です。感謝しています。

 

 

まとまらないわたしの想いを読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

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