子育てと介護のダブルケアをそっと応援・寄り添いを大切にするライフオーガナイザー/メンタルオーガナイザーつるさきかよです。
昨日はお葬式でした。
大好きな仲間が亡くなりました。
母と変わらない年齢で、逝ってしまいました。
私のいくつか上、あまりにも若い死でした。
内面も外見も素敵なライフオーガナイザー、
九州にいたからこそ、出会えた
素敵な女性でした。
彼女と近しいライフオーガナイザーの友人から連絡があり、ふたりでPCR検査を受けて安全を確認し、会いに行ってきました。連絡をくれた友人は彼女と関係が近く、本当に苦しかった、と思います。少しだけ外回りにいた私、身近な者の死を経験したことがある私だから、できることがあると感じ、一緒に行きたい、と声をかけました。運転が苦手と前に聞いていたし、きっとあかりんも会いたいだろうな、と思ったから。わたし自身が、お通夜にひとりで行く勇気がなかったのも本音です。
かける言葉はたくさん頭の中で考えていましたが、実際に会場につくと言葉はちからを持たず、何も言えなかった。
26年前の暑い夏、
娘の立場から見た通夜や葬儀が走馬灯のように、よぎりました。母が亡くなった時もたくさんの友達や先生、母を知っているママ友達がきてくれました。
参列者は遺族にとっても、母がどれだけ愛されていたか、を表してくれたんですよね。目の前の現実はとても悲しくて辛かったですが、今は儀式をすることであらためて温かく誇らしい気持ちになったこともまた覚えています。お悔やみの電報も、供花(きょうか)もすべて、あなたの家族が大好きだったよ、ありがとうね、が伝わり、家族は涙が溢れてしまうけれどとても嬉しいものでした。
だから、今回のように、わたしは知り合った人の通夜や葬儀にはできるだけ参加します。
生きている人はその後にいくらでも会えますが、お葬式はその人に会える最後の機会だからです。そして、それは家族のための第一歩でもあると、よく知っているからです。
わたしが行く理由です。
コロナじゃなかったら、事前に会いに行っていたかと言うと、きっとわたしにはできませんでした。代表や先輩が会いに行ってくださったことを知り、本当に良かったと思いました。ここはわたしにはできないことだから。こういうことが今たくさんの別れの場所で起きているのだ、とあらためてこの現状を理解した数日でした。
今思うこと。
今日という日はもう二度とこない。
人はひとりで生まれてきたように、
いつかはひとりで死にゆく。
死は生といつも隣り合わせ、
だから、後悔のないように生きていきたい。
あかりん、
あらためて命の尊さを教えてくれて
どうもありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
大好きです。
出逢えて良かったです。
あかりんは自分がなった病気のことを珍しくて調べようがないからとブログを書いていました。
でもね、病気の人であるその前にわたしが尊敬するライフオーガナイザーです。